トン先生のほんねトーク : 2015年12月の記事
日々に新たに 460
忘年会シーズンたけなわですね~~。
以前から比べると、僕が忘年会に参加する機会はずいぶん減りました。
40歳代は、この時期4連荘くらい平気でやっていましたが、今は、多くても週2回くらいになっています。
忘年会をしても10時までにはさっさと家に帰ってきて、翌朝の筋トレ、歩き通勤に備えて早く寝るようにしています。
やっぱり、57歳になるときちんとした体調管理が必須なのです。
平日の忘年会では呑み過ぎることもありません。
それなりに楽しく食べて呑んで、さっさと切り上げる!
これが一番です。
で、憲法のお話の続きです。百田氏は続けます。
日本国憲法は、日本が占領されている時代にGHQが短期間で草案をつくらせて、あたかもすべて日本人が考えたかのように体勢を整えて公布、施行させたものです。まともな法律学者であれば、これを「憲法」だと認められるはずはありません。
アメリカは戦争で痛い目に遭っていますから、二度と日本が立ち向かえないようにしました。九条で「交戦権の放棄」を押し付けたのもそうです。今の日本には自衛隊がありますが、九条を厳密に解釈すると、相手に銃を向けられて引き金に指がかかっていても抵抗できません。
私が法解釈や運用では対応できないと考える理由の一つがここにあります。
ドイツも日本と同様、占領時には連合軍に憲法を押し付けられました。けれどもドイツ人はそれを「憲法」とみなしませんでした。「ボン基本法(ドイツ連邦共和国基本法)」と呼び、占領が解けてから条文を50回以上も改正し、自分たちの憲法を作っていったのです。
このような事実はほとんどの国民は知りません。
だから重要なのは、政府が憲法改正の論点をきちんとアピールしていくことです。そうすることで初めて国民の「憲法アレルギー」が取り払われ、常識的な憲法観で改正を論じられるようになるでしょう。
こういう歴史的事実をきちんと認識すべきだと思うのです。
そのうえで議論すべきが憲法改正問題なのです。
日本人は変化を好まない国民だとは思います。
でも、きちんと考えて時代に即した対応を取っていかないといけない時期に来ていると僕は思っています。
憲法改正の国民への発議は、衆参両院の総議員の3分の2以上が賛成する必要があります。その上で国民投票を行い、国民の過半数の賛成が必要になります。
実際に改正に至るまでには前途多難なのです。
日々に新たに 459
12月にしてはドンと雪も降らないし、、わりに安定した師走だなあ~~と思っています。
年末はどうなるか分かりませんが、今のところこの先1週間くらいは気温が高く、雪の予報も無いようです。
天気は周期的に変わりますので、またドンと爆弾低気圧がくるかな~~(汗)。
冬の曇天には長年住んでも慣れません~~(汗)。
百田氏のお話はまだ続きます。
彼は現在の日本が抱える問題をきちんとデータに基づいて解説してくれているので、きちんとした知識を得る上でもとても有意義なのです。
もう少しお付き合い下さいね。
で、今日は憲法改正のお話です。
“世間では、いまだに「神聖な憲法を改正するなんてもってのほかだ」という憲法改正アレルギーが蔓延しているようですが、世界中のどの国も、憲法改正はごく普通に行われています。戦後だけを見ても、アメリカは18回、フランスは24回、ドイツは58回憲法を改正しています。
メキシコに至っては、建国以来408回も改正しており、世界最多の回数と言われています。”
皆さん、これ知ってましたか?僕は知らなかったです~~(汗)。
“国民の生活、文化、思想あるいは国際情勢によって憲法を変えていくことのは当然です。67年も変化していない日本国憲法は、すでに「世界最古」の憲法です。これほど長い時間が経てば、国民生活も世界の情勢すべてが変わっています。
にもかかわらず、憲法を一文たりとも変えないのは柔軟性がなさすぎます。”
僕自身は、憲法のことをよく知らない時期もあって、その頃は、憲法をわざわざ改正しなくてもいいんじゃないかと思っていました。
しかし、歴史を紐解き、それに関する本を読めば読むほど、戦後世界情勢が変わっている中で、憲法改正の必要もあると思い始めました。
日本国憲法誕生のいきさつなどを調べると、色々問題があるな~~というのも今は納得できます。
多くの国民の皆さんは、憲法についてどの程度知っているのでしょうか?
今、僕たちは自分でちゃんと知らなくてはいけない時期に来ていると思っています。
マスコミなどの情報に惑わされず、きちんと自分の意見を持つべき時代になっているのです。
多くを知らないで、ただ情報に流されて反対!と声をあげるようなことしてはいけません。
で、百田氏はそのことについてもちゃんと書いてくれています。
この続きはまた明日です~~。
日々に新たに 457
まだまだ天気は荒れ模様ですが、雷は鳴らなくなりました。
それにしても、日本海を進む爆弾低気圧はとても怖いですね~~。
和歌山には夏に台風が来ますが(僕はわりに台風に慣れっこです)、北陸地方の冬のこの時期の雷雨、強風、霰はそれよりも怖いな~~と思っています。
なんせ、ピカ!ド~~ンですからね~~。
台風は雨風は強いのですが、霰や雷を伴うことはほぼありません。
だから、僕は爆弾低気圧のほうが怖いのですよ~~。で、雷が鳴っているときは歩いての通勤は止めています。
で、戦争のお話をもう少し。
僕のおふくろさんはいつも僕のブログを読んでくれているようです。
昨日のブログの大空襲のお話を読んでメールが来ました。
で、今回はちょっとその内容を紹介してみたいと思います。
実は、僕のおじいちゃん(おふくろの父親)は、和歌山の古座というところで、有限会社古座造船所の社長だったのです。
で、当時は軍の輸送船を作っていました。で、戦争特需で大儲けしたようです。
トイレの時はお札でお尻を拭くくらいの大儲けらしいです(笑)。
しかし、戦況が悪くなると、やはりB29が編隊でやってきて、造船所めがけて爆弾、焼夷弾をバラバラをいっぱい落として行ったとのことです。
もう、おふくろ一家は死ぬ思いで防空壕に逃げ込み難を逃れたようです。
海からは艦砲射撃で、火の玉が造船所向かって飛んでくるし、とても恐ろしかったとの事です。
当時、おふくろは小学生。今でもB29がゴーゴーと飛んでくる鈍い音が耳に残っているとのことです。
サイレンがウ~~と鳴ったら警戒警報、また、ウ~~と3回鳴ったら空襲警報だそうです。
終戦近くなると、食べ物も全然なく、ずいぶんひもじい思いもしたようです。
で、「こういう話は卓嗣は知らないと思うので、今のうちに伝えておきますね」とのことです。
「私達の年代は戦争の怖さ、悲惨さを実際に体験してきたので、戦争は絶対ダメだ!という思いが強いんです」とのことです。
ちょっと話は逸れますが、先の祖父の古座造船所は、カツオ漁船第五福竜丸を造った造船所です。
ご存知ですか? 第五福竜丸!
多くの方は知っていると思います。
1954年第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験で放射性降灰物を浴びた事件です。
そして今、第五福竜丸は、東京の”夢の島公園”の第五福竜丸展示館に永久展示されています。
日々に新たに 458
金、土と天気が大荒れでした。
まあなんとか日曜日は曇りでほっとしてました。
今年もあと3週間の診療で終わりになります。
なんだか気ぜわしいですね~~。大掃除もしなくてはいけないし、、。
年内にやっておかなくてはいけないことが多くありそうで、気持ちが焦ります~~(笑)。
でも、毎年こんなものなのでしょうね。
で、百田氏です。
南京大虐殺とはです。
百田氏は南京大虐殺はなかったと言います。
“南京大虐殺は肯定派否定派が今も論争している問題であり、詳しく論じることは避ける。”
皆さんもよく聞く南京大虐殺の問題です。
百田氏は続けます。
“南京大虐殺は日本軍が1937年12月に南京を占領した直後から、蒋介石が子飼いのアメリカ人ジャーナリストを使って盛んに宣伝した。
しかし、当時、南京にはそれ以外の各国の特派員たちが大勢いたが、報道した記者はいない。
また、当時南京政府が調べた人口調査によると、占領される直前の南京市民は20万人だった。これは公式記録として残っている。
20万人しかいない街の住民をどうやって30万人も殺せるというのだ。また日本人が占領してから1か月後には南京市民は25万人に増えている。
南京市民が増えたのは街に治安が戻ったからに他ならない。”
中国は南京大虐殺で30万人が殺されたと主張しているところがこの問題を複雑化させているようです。
“で、その物的証拠も必要なのだが、今日までそれらはま全く出てこない。証拠写真の大半は捏造ないし合成であることが証明されている。
で、奇妙なことはまだ続く。東京裁判で亡霊のごとく浮かび上がった南京大虐殺はそれ以降再び歴史の中に消えてしまうのだ。
で、朝日新聞が火をつけたのだ。
朝日新聞をはじめとする左翼系ジャーナリストが南京大虐殺をテーマにして盛んに「日本人の罪」を糾弾する記事や特集を組み始めた。そうした日本国内での動きを見た中国政府は、これが外交カードとして使えると判断し、これ以降、執拗に日本を非難することになる。本多勝一氏の本が出るまで、毛沢東も周恩来も、また、中国政府も一度たりとも問題にせず、日本を非難しなかったにもかかわらずだ。”
いががですか。
やっぱり信用ならない新聞社というのはあるんだな~、意図的に間違った情報を流しているんだな~~というのが僕の感想です。
日々に新たに 456
昨夜から今日にかけて北陸地方は大荒れの天気です。
強風、雷、稲光、霰と外をまともに歩けない状況です。
昨夜は一晩中稲光と雷が鳴って、何回も目を覚まされました。
それにしても、今回の冬の嵐は酷いです。
早朝、ゴミ出しもしてきましたが、ほんとに吹き飛ばされそうでした。
で、安全第一で車で来ました~~(笑)。
北陸の雷は、稲妻がピカッと光ったら間髪を入れず、ドーーンと雷がなるので、無茶怖いです~(汗。)
で、東京大空襲からのお話に引き続いて、、。
空襲はなにも東京だけではありません。
ちょっと時代を遡ると、まず、昭和19年7月7日にサイパンが玉砕されます。
これにより、本土空爆が始まるのですね。
つまり、B29が爆撃可能(飛行可能)な地域が、東京、名古屋、大阪などまで到達したのです。
この時点では金沢はぎりぎり爆撃可能な地域を逃れていたようです。
で、日本本土空襲は昭和19年11月24日に始まります。
この時点から、8月15日の終戦まで、日本の各都市に計122回、延べ4800機によって11000の爆弾と389000の焼夷弾が投下され、70万近くの命が失われるのです。
東京だけを見ても、昭和19年11月27日、29日、12月3日、27日、1月9日、27日、2月16日、17日、19日、25日、3月4日、で、3月10日の東京大空襲(一晩で8万3793人が焼死)となります。
その後も、4月2日、4日、12日、13日、15日、19日、24日、30日。5月19日、24日、25日、29日、6月11日。7月6日、8日、9日、10日、27日、28日、8月2日、3日空爆されたのです。
もうぼこぼこです。
で、8月6日の広島の原爆投下、8月9日の長崎の原爆投下となっていくのです。
で、8月8日、8月15日(終戦日)にも東京は空襲を受けています。
で、7月にベルリン郊外のポツダムで米国、イギリス、中国の名で、日本の戦後処理方針と、日本軍隊の無条件降伏を勧告するポツダム宣言を発表し、8月10日に受諾し、8月15日天皇のお言葉により玉音放送で国民に日本の降伏を知らせ、終戦となるのです。
いや~~、執拗に日本は攻撃されたのですね。
いかがですか。恐ろしいを通り越して、悲惨としか言いようがありません(悲しい)。
