トン先生のほんねトーク
日々に新たに 411
今朝は、三日月と金星(だと思います)が東の空に寄り添うように光っていました。
先日スーパームーンを観て素晴らしいな~~と思っていたら、今、月はもう三日月になっています。
三日月はなんだかシャープな感じで、凍てつく冬の空には刃物のように感じますが、
今朝の三日月は金星と寄り添い可愛い感じでした。
月、星など天体は、時々素晴らしく綺麗なものを僕達に見せてくれます。
それも、いつもそこにあるような不変なものでは無いだけに、時間が動く中での素晴らしく美しいものです。
一瞬だからこそ美しさのレベルが高まるのかも知れませんね。
結局、美しさにおいては、人は自然が創りだすものには勝てないのかも知れません。
成功する人は、あいさつもきちんとするし、それなりの礼儀もわきまえているものだ。
そして、向上心があればそういう道徳は自然に身につくものだと天才北野氏は言います。
人間社会の中で、上に行こうとする奴は、放っておいても道徳的になる。そうでないと上に行けないのだ。
これも事実ですね。
僕自身もこの歳になって本当にそういうことが良く分かります。
自分が、自分がと、前にしゃしゃり出て、言葉も乱暴で、礼儀知らずで、自分勝手な人は絶対上に上がっていけない。
階段を一段くらい登れるかも知れないが、極めて低レベル。
大きく飛躍は出来ない。
彼は言います。
子どもの道徳教育で一番大切なのは、本音で話すことだと思う。
この意見には僕も大賛成です。
僕のブログもいつも本音で書いています(笑、僕のブログはあくまでも僕のプライベートな空間なので)。
もちろん、日常生活においては本音と建前はそれなりに使い分けることは必要です。
そういうことも含めて、子どもには本音で道徳教育をしないと結局なにも伝わらないような気がするのです。
そして、そのためには、今まず大人も礼儀正しく襟を正す必要もあるのではないかと思っています。
日々に新たに 410
歩いて帰ってお風呂に入りながらちょっと窓を開けて虫の音を聴いています。
ところで皆さん、秋の虫って、いつ頃まで鳴いているのでしょうか?
例年は考えたことないのですが、今年はちょっとそれに興味があり、いつまで虫の音が聴けるのかを考えながら、ストレッチしながら虫の音を聴いています。
ちょっとでも長く秋を楽しみたいな~~と思っているのです。
で、今はお風呂に入りながらの英語のヒアリングをもう少し止めています。
寒くなって虫の音が聞こえなくなったら、また、英語、フランス語のヒアリングを始めるつもりです~~(笑)。
結局、小学生の道徳教育は最低限の道徳を教えて放っておけばいいという北野氏の意見です。
おじいさんがやおばあさん、妊婦さんが電車やバスの中で立っていたら席を譲るのも当たり前。
しんどいだろうな~と相手を気遣う、慮る気持ちがあれば自然を席を譲りたい気持ちになる。
でも、実際のしんどさは、その小学生が老人や妊婦さんにならないと分からない。
そして、一歩踏み出せない多くの子どもは、声を掛ける勇気がないのだと思います。
学校の道徳の授業で習ったように、席を譲らなきゃ!と思うのですが、みんなが見ている手前、恥ずかしいというのも本音のところだと思います。
実際に、僕も子供の頃はそんなものでした(笑)。
さっさと席を立って、「こちらにお掛け下さい」
なんて言える優等生的小学生はまずいないんじゃないでしょうか?
でも、そういう場面を何回か経験すると、ある時ふと出来るようになるのですね。
で、一つ出来るようになるとそれが当たり前になり、躊躇なくさっと席を立つことが出来るものなのですね。
こいうのは経験ですし、ここに至って一つ道徳が身に着いたと言えると思うのです。
日々に新たに 409
秋ですね~~。
本格的に秋になりました。
空気も軽いし、ピンと張って来ている感じがなんとも言えない緊張感を醸し出しています。
ここのところ天気も良いので、すっきりした気分で秋を十分楽しめますね。
夏のべたつく空気と暑さが完全に姿を消した感じです。
いい季節になりました。とても気持ちいいです。
向上心のある芸人は自然にこの世界の掟を身につける。
上に行こうとする奴は、放っておいても道徳的になる。
結局、道徳は自分で身につけるものなんだ
と北野氏は言います。
小学生では最低限の道徳を教えればいいのだ。
どんなに厳しく道徳を躾けたところで、子供本人が自分からそうおもわないと意味がない。
最低限とは、あいさつと礼儀だと言いきっています。
これ、いいですね~~(嬉)。
挨拶と礼儀!
いい言葉ですね。大人でもきちんと挨拶が出来ない人が多い昨今です。
挨拶は道徳の基本中の基本だと思います。
まずは、一日の始まりの おはようございます!
自分の体調が悪かろうが良かろうが、きちんと相手の目を見て相手に元気を与える気持ちで、
おはようございます!
なのです。
そうすることで、自分自身も元気になるし、相手を幸せな気持ちにさせることができる。
この相手を幸せな気持ちにさせるという所がミソです。
で、心から相手を思いやる気持ちがあれば、自然と気持ちいい挨拶が出来るのです。
そして、その幸せは回りまわって自分に帰ってくる。
で、こういう所にこそ、小学生に道徳を教えるところの本当の意味があるのではないかという考えに至ります。
日々に新たに 408
時候のあいさつではありませんが、ホント朝夕めっきり涼しくなりましたね~~。
朝夕歩く時間は真っ暗!
車にひかれないようにバッグに反射板をつけて歩いています(笑)。
そろそろマスクも必要な感じになって来ました。季節の変わり目は風邪に注意です。
そして北野氏は続けます。
人間はみんな違う。自分とは違う人間で世界は成り立っている。
ただ、一つだけ誰にでもあてはまることは、みんな幸せになりたいと思っているということだけだ。
「本当の意味で、傷つきたいと思っている人は一人もいない。だから、自分が傷つきたくないなら、他人を傷つけるのはやめよう」
教室の子供たち全員に教えていい道徳は、これくらいしかないんじゃないか。
というのです。
子どもに、昔からの勤勉や精神主義的道徳を強制しないでほしいと言っているのですね。
世の中では生き死に以外に100%のことってあまりないと思うのですが、みんな100%幸せでいたいと思っている。
考えてみれば、人間の本質として、不幸になりたいという人は皆無だと思うのです。
100%幸せになりたいと思っている。これも少ない100%の中の一つであり、真実だと思います。
新しい道徳と題打った本は、本音で生きていて、決してぶれない彼の生き方が滲み出ていてとても好感が持てます。
何かを伝えたい時には、本気で、本音で語らないと伝えたい内容が読者の心に沁みこまない。
日本の将来を担う小学生がちゃんと育つように、大人が教える道徳というのを本気で考えているところが素晴らしい。
僕は色々な本を読みますが、読んでいるとその著者像というか、性格というかそういうのが行間に感じられることはよくあります。
で、結構誠実で素直な人だな~~とか、わりにまともジャン!とか分かってしまうのですね(上から目線?笑)。
反対に、自己顕示欲が強いな~~とか、性格悪いな~、やっぱり変だな~~、欲たましい~(金沢弁?)とかいう事も感じ取れる。
今回この本の内容を紹介したのは、北野氏は一見強面で怖い感じですが、やっぱり才能のあるいい人だな~~と思ったからなのです(当たり前?)。
日々に新たに 407
今朝はグッと寒くなりましたね~~。
日中はまだ大丈夫ですが、今朝は上着を着て歩いて来ました。もうそんな時期なのですね~~。
僕が歩いて来る時間は真っ暗になってしまいました。
これから寒い冬に向かって行くと思うとどうしても気分がブルーになりますね~~(汗)。
特に北陸の冬は厳しく、曇天が多いので余計気が滅入ります。
そうそう、道徳のお話。
北野氏は続けます。
結局道徳は自分で作るしかない。
自分なりの道徳感を持つということなのでしょうが、これは小学生にはやはりかなり難しいと僕は思います。
そこまでの考えができる小学生がいたら天才でしょうね。
そんな小学生はいません。だから、道徳の初歩を教えなくてはいけないということになるのだと思うのです。
ただ、彼が言おうとしていることも良く分かります。
人は人ぞれぞれ違うので、一つのレールしかない道徳列車に乗せるのは止めましょうと言っているのですね。
机の片づけが上手な子どももいるし、かちゃかちゃにする子供もいる。
そんなのは人に迷惑がかからない。
なら、道徳の授業でつべこべ、いちいち言う必要ないんじゃないかということなのです。
でも、まあ、机の上や引き出しはある程度片付いている方がいいんじゃないかな~~と僕は思います。
作家さんなどで、書斎を足の踏み場もないくらい散らかす人もいるようですが、本人は良いとしても家族や知人にとっては見ていてあまり気持ちいいものではない(不快)と思うのです。
だから、これも程度問題。
散らかっているよりある程度整頓されている方がいいと僕は思います。
僕は、小学生の頃からある程度の整理整頓習慣をつけることも良い事だと思っています。