トン先生のほんねトーク : 日々に新たに 377

日々に新たに 377

昨日は、朝の熱風とは違って夕方は大分涼しくなりました。

今朝も涼しく、筋トレしていても汗ダラダラにはならなくなりました。

そうそう、昨日の続きです。

一般人は、わざわざ滝に打たれるような修業はしなくていいと僕は思っています。

白隠和尚が弟子に問うた公案にこういうのがあります。

ご存知の方も多いのではないでしょうか?

「隻手音声」

とても有名な公案です。  

「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」

で、回答ですが、これに対する意味ある答えはありません。

人は他人のちょっと言ったことや問いに惑わされやすい。

人には質問に対し何とか答えを出そうと思って、必死になって考えてしまう癖みたいのものがある。

両手でパチンと音は出せるけれど、片手の音は? 片手で音が出せるのだろうか?

え?どういう事? どんな音が出るのだろうか?

と、ついつい考えに考えてしまう(惑わされてしまう)。

で、この答えというものは無いのですが、

そんな片手の音のあるなしを考えている暇があったら今ある前の仕事に没頭することだ!

片手の音ってどんな音?という問いに心を惑わさせてはいけないというのが正解なようです。

僕は、修験者でもない社会人が滝に打たれて修業する暇があったら、今ある目の前の自分の仕事を一生懸命やった方がいいと思っています。

れが社会人の修行なのだと思っています。